ブラジルのアフロダンスについて③

アフロについて

アフロダンスと現代表現の架け橋 ― キャサリン・ダナムの功績

アフロダンスのルーツを辿っていくと、驚くほど多くの人物や文化の交差点が見えてきます。なかでも、20世紀にアフロディアスポラ(アフリカ系移民)の文化とモダンダンスを橋渡しした、ある黒人女性の存在は欠かせません。

キャサリン・ダナム(Katherine Dunham)とは?

1909年、アメリカ・シカゴに生まれたキャサリン・ダナムは、アフリカ系アメリカ人の父とフランス系カナダ人の母を持つ女性でした。幼い頃から教会でゴスペルを歌っていた彼女は、芸術の世界に身を置くことになるとは夢にも思っていなかったと語っています。

しかし、兄の影響で進学したシカゴ大学で人類学に出会い、人生が大きく動き始めます。ダナムはアフリカ系アメリカ人女性として初めて、学士・修士・博士号を取得。人類学者でありながら、踊る身体を通じて文化を探究するという、まさに「動く研究者」としての道を歩み始めたのです。

フィールドワークとしてのダンス ― カリブ海、ハイチ、ブラジル

ダナムの研究スタイルは、当時のアカデミズムからすれば異色でした。彼女は実際にカリブ海諸国や南米を訪れ、現地のダンスや宗教儀式に参加しながら、踊りの意味や文化的背景を記録していきました。

とくにハイチではヴードゥーの儀式に深く関わり、宗教とダンスの一体性を体感。それをベースに、アフリカ系ダンスのリズムや動きをコンテンポラリーダンスと融合させた独自の振付スタイルを確立しました。

このアプローチは、ただ「伝統を再現」するのではなく、「伝統を現代に生かす」ものであり、後世の振付師や教育者たちに大きな影響を与えました。

黒人バレエ団の誕生 ― 多様性の可能性を切り拓いた

ダナムは、1930年代に「バレエ・キャサリン・ダナム(Ballet Katherine Dunham)」を設立。黒人を主体としたこのバレエ団は、当時の芸術界に大きな衝撃を与えました。

公演はアメリカだけでなく、ヨーロッパや中南米でも高い評価を受け、ダナムの芸術は国境を越えて広がっていきます。舞台では、アフロ系文化を肯定的に表現するだけでなく、差別や不平等へのメッセージも織り込まれ、アートによる社会的対話の可能性を体現しました。

そして現在 ― ブラジルの教育現場にも息づくダナムの精神

ダナムの影響は、今も世界中に生き続けています。ブラジルのダンス学校や文化センターでは、彼女の研究とスタイルを取り入れたプログラムが存在し、次世代の振付師やパフォーマーに受け継がれています。

彼女の名を冠した「ダナム・テクニック」は、身体表現を通じて文化・アイデンティティ・スピリチュアリティを統合するトレーニング方法として、世界中の舞台芸術の場で用いられています。

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